強がり女のため息

レオナルド・フジ子

愛すべき、バブルが作り上げた男たち

数年に渡って、私のLINEアカウントに日記を送り続ける男性が2人いる。偶然にも、どちらも私の父と同い年で、私と同年代の娘を持つナイスミドル。そしてどちらも過去に仕事でとてもお世話になった人だ。

日記の内容は大抵「今日は仕事で何処何処に来ています」「何処何処の寿司が絶品です」といったもので、そこで撮ったらしい画像と共に送られてくる。場所はときにはインドやドイツなどの遠い国だったり、ときには銀座や神楽坂などの目と鼻の先だったりする。

日記が送られてくるようになった当初は、もちろん「日記」ではなく「メッセージ」と受け止め、素敵ですね!美味しそうですね!などと返信していたのだが、リアクションのバリエーションは次第に底を尽き、返信が苦痛になり、最終的に私は読む専門になった。それでも日記は今日まで続いている。

 

彼らを含め、バブル時代に輝かしい青年期を謳歌した男性たちからは、女としてたくさん悩まされてきた。いわゆる「セクハラ」。お茶を汲んだりお酌をして欲しいといった些細なことから、タクシーの中で突然服の下に手を入れられるなどの罪深いものまで、真剣に数えれば千くらいにはのぼるだろう。

彼らが厄介なのは、「惚れた女は押して押して押しまくれ」「嫌よ嫌よも好きのうち」という昭和的な価値観を根強く残しているところ。こちらが少し抵抗したくらいでは響かない。彼らの口説きを完全に止めるには、並々ならぬ覚悟で挑む必要があるのだ。

20代後半の頃、当時関わっていた仕事の延長でその業界のドンとも言える重要人物と会食をしたのだが、蓋をあけてみれば会食という名のただのお食事だった。仕事観などの抽象的な会話はあっても具体的なビジネスの話は出ないまま、2軒目の帝国ホテルのバーへ。すると、ドンはしきりに私に身体をくっつけようとしてきた。

不快である以上に、あぁこれは困ったな、と思った。帝国ホテルのバーなんて、いつ知り合いに会ってもおかしくない。こんなところで初老のおっさんとベタベタしている姿を知人に見られるなんて堪ったものでは無い。「あまり近くに寄るのはやめてください、人が見ていますので」と何度か作り笑顔で拒否したものの、気分良く酔っているドンがやめるはずもなかった。

そして帰りのエレベーターで事件は起こった。エレベーターを待つ間、ここで2人きりになってしまったら確実に何かが起こるだろう予感がした。お願い、誰か一緒に乗って!そう思ったが、無情にも私たちの他に乗り込む人はいなかった。私は息を深く吸い込み、仕事を失う決意をした。

エレベーターの扉が閉まると、ドンは私に抱きつきキスをしてこようとした。その瞬間、私は持てる力のすべてを振り絞り「やめてください!何度も言っているでしょう!」と叫び、思いっきりドンを突き飛ばした。ドンの身体はその勢いで壁に激突し、エレベーターが大きく揺れた。そのときのドンの凍りついた表情は今でも忘れない。一瞬の静けさが通り過ぎた後、「そんなに怒らないでくれよ」とドンは呟いた。私は無言だった。

エレベーターが1階に着くと、無言のままタクシー乗り場に向かった。そこでドンは財布を出そうとしたが、私は「結構です。自分で払えます」と言い残し、ひとりタクシーに乗った。一度もドンの顔は見ずに。

タクシーに乗ってから自宅に着くまで、冷や汗が止まらなかった。私のこれまでの努力も今夜ですべて無かったことになるかもしれない。

だけど幸いにもそんなことにはならず、ドンはまた仕事で会うだけの人になった。

 

自分は老いているにも関わらず、自らの若い頃と同じやり方で娘に近い年齢の女と「良い雰囲気」になれると信じて疑わない彼らの自信は、どこから来るのだろう。彼らは鏡で自分の顔を見たことがないのだろうか。いつも不思議でならなかったけれど、時が経つにつれ、青年のまま時間が止まっている彼らの無邪気さを少しだけ許せるようになった。

そして私は30代になり、彼らに悩まされる機会もめっきり少なくなった。それは私が若さを失い「口説きたい対象」ではなくなったからでもあるだろうし、時代が彼らの無邪気さを許容しなくなってきているからでもあるだろう。

どんなハラスメントも許されるべきではない。だけど、彼らはあのバブルのお祭りみたいな時代に男女の駆け引きを知ったのだ。人の価値観は、時代や環境に大きく影響を受ける。彼らが私の世代と違っていて当然だ。もうそんな機会はやってこないかもしれないが、もしまた相手を突き飛ばさなければならない時が来たら、私は思いきり突き飛ばす覚悟だ。そして翌日には、何もなかったように仕事をしているだろう。

 

LINEに届く日記の書き手には、もう何年も会っていない。私はどのSNSにも自分の顔写真をアップしないので、彼らの脳裏に浮かぶ私は若い頃のままだろう。日記のどこにも返信を促す文章は見当たらないけれど、たまには若い女のふりをして、愛嬌のある返信を送ろうか。私からの返信が届いたとき、画面の向こうで彼らはどんな顔をするだろう。想像すると、思わずフッと笑ってしまう。